加圧トレーニング

長い日記です。長いということは、重い内容です。
不快になりたくない方は読まない方が良いです!!
主に障害受容について書いています。








少なからず認定音楽療法士という立場があるので、あまりも偏った個人の意見はどうかなーと思いつつも、今の自分の気持ちを綴ることもたまにはいいかなー。


くらいの気持ちで。




最近、加圧トレーニングをはじめました。身体を鍛えたいなーと思いまして。
普通の身体ではないので、心身ともになかなか難しいのですよ。


自分が患者として病院に行く事が苦手になりました。

それだけ、心が健康になったのだと思います。

これまで10年以上、リハビリも、さんざん通いました。何箇所行っただろう。
PTが変わってしまったり、病院が合わなかったり(とても重要)。医者もリハビリも、患者との相性はとても大事です。

相性の合うPTが移動などで変わってしまうのは一番の痛手。
言い訳に聞こえる方もいれば、同感の方も多いかも。

音楽療法士をはじめて、余計によくわかるようになりました。私はわりと万人受けするタイプですが、それでも少なからず合わない人はいます。無理強いはせず、「私と音楽療法」は優しい異物として、そこに存在するようにしています。



さて。リハビリの精神的苦痛は、慢性期の患者になればなるほど実感するのかもしれません。それも「健常な状態に戻れ」と言われている人ほど。


今日、ベテラン音楽療法士さんのお話の中に「歌を歌っているガン患者が、しばしガンの当事者である事を忘れる(病気がメインで生きている自分が、一瞬そうではなくなる)という瞬間を感じている」という内容があり、ガンではない私ですが、大変納得の行く気持ちでした。

「いつも、病気の当事者」では生きて行けないのです。辛くて辛くて。

当事者とは、患者本人のみならず、患者を取り巻く家族も含みます。

健康でも、人は気分転換をはかる事がありますね。

ガン患者の多くは

身体的苦痛…痛み、他の身体症状、ADLの支障
精神的苦痛…不安、いらだち、おそれ、うつ状態など
社会的苦痛…仕事上の問題、家族間、治療にかかわる経済的問題
スピリチュアルな側面…人生の意味への問、目的や希望の喪失、家族周囲への負担、死の恐怖
(スピリチュアルと聞くと怪しい言葉に聞こえますが、偏った宗教などの考え方ではなく、死生観、魂のあり方みたいな話です。スピリチュアルペインという言葉もあります。)

を抱えて過ごすと言われています。
以上のことは、WHOによる緩和ケアの定義内にある「患者とその家族に向け全人的苦痛=トータルペインをケアの対象とする」というものに当てはまります。トータルペインが上記の身体的・精神的・社会的・苦痛と、スピリチュアルな側面に当てはまります。






中途障害を持つ人々も全く同じなのではと考えました。
ですが、なかなか理解されずに(社会にも、家族にさえも)、やり場のない気持ちを抱えるのです。


股関節症の患者仲間でも家族に
「手術すれば、元通りになるんじゃなかったの?」「普通に歩けないの?」と言われて傷つく人を、何人も見てきました。

私も、そのひとり。

「根性論で治そうとするな」と、医師からも言われました。病院は病人に理解があるのかもしれません(ないところもあるでしょうが)。
しかし、病院を出てしまえば、そこは社会。人々は、理想論、根性論で「気軽に」声をかけてきます。


例えば「頑張れ」。
もうさんざんがんばっている人に「頑張れ」

「怠けている」
頑張り疲れて、これ以上頑張ったら心が死ぬのに。

「障害持ってどうやって生きていくの?」
本人が一番悩んでいる事。
どうもこうも、自分の状態を受け入れて、自分の与えられた余命を、充実させて悔いなく生きて行くしかない。





理想と根性でどうにかなるなら「障害者」という枠組みは、要りません。


患者自身が「障害受容」という「死の受容」と同じ心理状態を、繰り返し、なんとか「過去の自分と今の自分」を分けて考え、障害を受け入れて前向きに生きようとしても、身近な人のひとことで「障害を持つ自分」を完全否定される事もあります。


私は、障害を持つ以前に出会った人々と会うことは未だに気後れします。以前の自分と比較されそうで嫌だから。

この辺りは、まだ障害受容できていない部分でしょう。

だけど、障害を持ってから出会った人々とは、明るく楽しく、自己開示してお付き合い出来ています。
障害を持っている私しか見た事がない人々ですが「障害があるとは思えない」と良く言われます。


それは、そこでは障害を受容できていて、障害を持った状況でも120%、充実して胸を張って生きて行ける術を、心得ているからだと思います。

世の中はまだまだマジョリティの生き方がメインな様子。「出来て当たり前」

努力しても、出来ない事がありますね。
特に外見や身体的なもの。

日本人に「欧米人のように、ホリの深い顔になれ」と言っても、よほどの大金を積まねば無理な話で、じゃあ欧米人の顔になることが幸せかと言えば、そうかもしれないし、一方でその労力を使うならば、日本人の顔で日本人として生きて行く方が、よほど楽しく笑顔で生きて行けると思う人もいるでしょう。



障害者に「健常者になれ」というのは、無理な話です。治療によってそうなることも可能でしょうが、根性論では無理です。


健常者になろうとして、なれなくて、病気になる方がよほどの不健康。

ただでさえ、葛藤の中で生きているのだから。


ならば、障害者として、いかにイキイキ暮らしていくか、前向きに生きているほうがよほど人生が充実します。


なんたって、24時間365日、障害者は障害者、病人は病人です。痛いもんは痛い。つらいものはつらい。


本人が一番悩んでて、辛いのです。


24時間365日の苦痛を、ひとときでも忘れられる何かがあるなら、忘れて充実した時間を過して良いと思うのです。


私は、そんな思いを自分の障害を通して、体感しているから、ひとりでも多くの方に自分の現実をいったん隅に置いて頂きたく音楽を使います。


音楽の力ってすごいなと思うのです。


「物資的に豊かであれば、人は満足できる生き物」だったとしたら、多くの芸術はとっくの昔に無くなっていたことでしょう。

音楽を含めた芸術が世の中に残っており、人々がそれを欲するのは「心の枯渇を潤すため」であると考えられます。


芸術は人々の生命に直接関係はありません。しかし芸術が無くなった世界を想像はできますか。


おそらく、芸術がすべて無くなってしまったら、人は狂うと思うのです。


豊かな心は、自然やそれを別の表現で具体化する芸術が育んでくれるのかもしれません。



とりとめもない日記ですが、
そんなわけで、加圧トレーニングはじめました。なんのこっちゃ。



「健康な不健康」と、音楽療法学会の常任理事に言われています。足を痛そうに引きずって歩いていますが、私の姿を見て暗い人生を歩んでいるようには見えないはずです。

音楽で救われ、
音楽を通して人と交流し、社会に属し、
人間の持つ欲求階層というものを満しているから。

人生を振り返れば音楽療法士という職業ほど、自分に合う職業はありません。

というわけで、加圧トレーニングをはじめました(3回目)使いにくい筋肉を使えて、嬉しい〜。

自分の身体との付き合い方はとても難しいです。
自分以外は、悲しいかな家族であっても所詮他人で、100%気持ちや痛みを理解してくれるわけではありません。大人であれば、自分の心を守るのは自分でしかありません。健康であれ、どうであれ、自分という人間は自分しかおりませんので、自分なりに歩んでいくしか方法はありません。


今回の「障害者」という言葉の定義は、中途生涯で痛みを伴う下肢障害について書いております。


加圧トレーニングは、障害受容の日々の中の、ひとつの方法。
私自身が、これからも、いきいきと仕事をして行けるようにするための、ひとつの取り組み。
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by wacco-blog | 2014-07-14 22:58
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日本音楽療法学会 認定音楽療法士。シンガーソングライター和田の、お気楽ゴロ寝的つぶやきブログ


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